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Re: 辻井伸行のラ・カンパネラ

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)19時26分27秒
返信・引用 編集済
  > No.1003[元記事へ]

菩瑠菩さんへのお返事です。

> 隆蓮房さまのパソコンは、まだ直らないようですが、ネット上には結構いいものがありますね。唐突にも、ピアノ曲なんですが。

私のPCは昨日修理に出しましたとさ(これは代用)。


おすすめの動画、よかったです〜〜〜〜〜うるうる。
カンパネッラって超難曲ですからね。
作曲者のリストも超イケメンですよね(神経質そうだけど)。

よく考えれば、日本では検校とか、盲人が箏で類まれなる才を発揮することがありました。
盲目の琴(・・・・ってか正確にはチクという楽器)の達人といえば、荊軻の友で始皇帝を暗殺しようとした高漸離なんてのもいました。
最も彼は生まれながらの盲人ではなく、始皇帝を暗殺しようとした荊軻の友でしたので、暗殺失敗後に目をつぶされました。
あの始皇帝が惜しむほど、楽の才はあったんですね。
ですが、楽器に重りを仕込んで暗殺未遂・・・・・誅殺

映画の「英雄(ヒーロー)」にも盲目の琴引きが出てきますね。

視覚に障害がある分、聴覚や感性は研ぎ澄まされているのでしょうか。

それにしても、彼の指は鍵盤を舞うようで、本当に美しい。
天性の才があるとしても、しかし、一体どれほどの努力を積み重ねてきたのだろう。
今回の受賞は、障害のある方に大きな勇気を与えたと思う。

私も目が辛いとか言ってる場合じゃないですよね・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

伊舎那天に関する回答について

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 6月28日(日)19時25分0秒
返信・引用
  回答有難う御座います。この曼荼羅は月刊誌「ムー」に載っていた物でした。号数は失念してしまいましたが、確か立体と言う見方でインドとチベット、日本の曼荼羅について言及されていました。あと胎蔵曼荼羅はなぜ「界」をつけない方が良いのでしょうか?  

弔辞の回答について

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 6月28日(日)19時19分17秒
返信・引用
  回答有り難う御座います。私はこの「冥」はキリスト教における「リンボ界」の様な感じがしたので「これはおかしい」と思いました。「冥」には「この世ではない」と言う意味があったのは知りませんでした。勉強になりました。  

Re: 青葉祭のご志納について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)19時13分1秒
返信・引用
  > No.1002[元記事へ]

武彦さんへのお返事です。

> 隆蓮房さん
>
> すんませんー(滝汗、危うく失念してしまうところでした.....
>
> 本日なにをなに致しましたあー(ハァハァ


おっけ〜です!

当庵加持の特製御影・・・・・本山のお供物のお下がりが届いたら一緒に発送しようと思っていたんですが・・・・・まだ届きません・・・・・。

もう少々お待ちください。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 迦葉山

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)19時11分45秒
返信・引用
  > No.1001[元記事へ]

菩瑠菩さんへのお返事です。

密教系寺院が曹洞宗寺院にチェンジしているところって多いですよね。

それにしても、そんな道場で参籠してみたいですね。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 伊舎那天について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)19時10分21秒
返信・引用
  > No.1000[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> ある本に白黒の写真で載っていたのですが宝冠を被った伊舎那天像と言うのは
> あるのでしょうか?そのマンダラは胎像界曼陀羅でした。宝冠?の形は六角形の
> 各角から線が伸びた様な形です。鎧なのかも知れません。インドやチベットの曼荼羅に
> この様な尊天が存在するのでしょうか。

当該図像を見なければよくわからないのですが、天部の諸尊はみなさん宝冠は標準装備ですが・・・・・。

曼荼羅は、胎蔵の場合は「界」はつけないほうがよろしいです。
版によっても多少違うでしょうが、ご覧になった曼荼羅はどこの曼荼羅でしょう。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 弔辞について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)19時07分28秒
返信・引用
  > No.998[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 私はつい最近まで知らなかったのですが、亡くなった人に対して「ご冥福をお祈りします。」と言う言い方はいけない、と言う事ですが亡くなった人に対しては本来はどういう
> 言い方が正しいのでしょうか?「冥」と言うのは暗いと言う意味で仮に生前仏教を信仰して
> いた人にこの言い方をすると「仏の世界に入る事が出来ない事を福としてそれを祈る」と言う事になってしまうのではないでしょうか?

「冥」の本義は「くらい」ですが、それだけではありません。
「奥深いところ」とか「みえないもの」という意味もあります。
仏教用語では後者の意味もよく使います。
たとえば、「冥の加護」(=神仏の加護)というふうに。

ところで、漢和辞典を見るに、「冥福」とは「あの世での幸福」という意味です。
「あの世」は「冥界」ともいいますね。
中国では、冥界は地底にあると考えられていました(「地獄」ではありませんよ)。
地底は「くらい」ってことなんでしょうか。

ちなみに「黄泉」は「地底湖」のことです。
日本では「よみ」という地底湖があって、そこに死者が赴くと考えられていたと聞いたことがあります。

でも、「冥福」自体には「くらい」という意味はありません。
「現世以外の場所での幸福」と考えるべきでしょう。

しかし、あなたのおっしゃるように。「冥」にマイナスイメージがあると思って使うべきではないと主張する人も最近はいるようですね。



>キリスト教の葬儀では亡くなったとは言わずに
> 「神の下ヘ赴いた」とか「神に召された」と言う言い方をして曖昧な言い方をせず神と共に
> あるとか、はっきりしていますが仏教では如何して「冥福を祈る」と言うのでしょうか。「神と共にある」と言うのは何も死者に限っておらず生者にもこの言い方はします。仏教
> ならば「仏と共にある(いる)」と言うのが正しいと思うのですが如何思われますか?

日本人の概念では、死ぬと仏になるんです。
キリスト教では、死者は神になれませんが(せいぜい天使とかお星様とか?)、仏教では「到彼岸」=悟り=成仏(仏と成る)ですので。

そして、生きているときも「みほとけと共にあり」ますので。

「冥福を祈る」とは、この世とは別の世界がありその世界での「幸福を祈る」という意味だと思いますが、「幸福を祈る」ことはおかしいでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 伝の違い

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月28日(日)18時55分41秒
返信・引用
  > No.999[元記事へ]

梵智 惇声さんへのお返事です。

> はい、こーだいの科目等履修生で、
> そもそもはオペラ歌手やら指揮やら作曲やら、
> という人間です。
>
> 結局、伝の違い、というところに尽きるんですよね。(笑)

ですね!


>
> 色々わかってくるにつれ、声明略誦文に突っ込みを入れたくなってきます。
> 声明集中秘事多し、とか、口伝の存す、とか、
> 口伝だの秘事だのになってるのは、
> 楽譜を論理的に発達させずに伝言ゲームばっかしやってたからだろうが!と。(笑)
> これが、西洋音楽の音楽家の観点から、南山進流声明に対して言いたいことですね。

「口伝、秘伝」を乱発なさる阿闍梨さまは確かにいますが、
「気にしちゃいけない(笑)口伝」と「気にしなきゃいけない口伝」がありますので、それを区別することです。

そして、大学での授業なんて初歩も初歩。
まだ、スタートラインにも立っていません。
やっぱり潅頂受けてからですよ。

「声明集中秘事多し」なんて誦えているうちは、まだまだ。
(当サイトでも一瞬だけ公開したんですけど、今ははずしてます)
やっぱり個人伝授がおすすめです。

「伝言ゲーム」になってしまった最大最悪の理由は、「日本には四声がないから」だと思います。
(ってか、つい最近、気がついた)
それでも、昔の人は四声をある程度分かっていたんでしょうけど、今は全然だからね。
(勿論、日本語自体も変遷しているわけで、お大師さんのしゃべっていた日本語と現代日本語はかなり違うしね)

そんなにやかましく細かく考えなくても、四声がわかっていれば間違いようのない部分が結構あるんですよ。

>
> 実は、極力口伝のようなものを排除した形で、
> 楽譜に忠実な西洋式楽譜を準備して勉強会してみたいな、
> などと考えています。
> つまり、音楽学的な意味での正確さを追求する道も提唱してみたいな、と。

あなたさまのように、西洋音楽の基礎ができている人が、
東洋音楽と四声の勉強をなさったら、いいところまで行くんじゃないでしょうか。
すごく期待してますので、是非お勉強なさってください。

楽は礼です。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

辻井伸行のラ・カンパネラ

 投稿者:菩瑠菩  投稿日:2009年 6月26日(金)17時33分4秒
返信・引用 編集済
  隆蓮房さまのパソコンは、まだ直らないようですが、ネット上には結構いいものがありますね。唐突にも、ピアノ曲なんですが。

たまたま吉田繁春のメルマガにあったんで聞いてみましたが、なるほど、これは素晴らしい。
バン・クライバーンで優勝するということはこういうことか、と納得した次第です。

http://www.youtube.com/watch?v=X9MlN-ZudKo&feature=related
 

Re: 青葉祭のご志納について

 投稿者:武彦  投稿日:2009年 6月19日(金)12時29分36秒
返信・引用
  > No.997[元記事へ]

隆蓮房さん

すんませんー(滝汗、危うく失念してしまうところでした.....

本日なにをなに致しましたあー(ハァハァ

http://23.pro.tok2.com/~choraku

 

迦葉山

 投稿者:菩瑠菩  投稿日:2009年 6月16日(火)19時39分14秒
返信・引用 編集済
  昨日、水上温泉に行った帰りに、これと言って見るべき名所旧跡もない東国のこと、しかも山奥、たまたま近所だったので正式名を迦葉山龍華院弥勒護国寺という山寺に行って見ました。

比叡山の3代目座主だった円仁慈覚が848年に開山した天台宗の古刹だったんですが、1456年に曹洞宗に改宗、徳川時代は10万石大名並みの格式が与えられていたとか。

山奥にぽつんとある修験道の道場のような寺でした。
見晴らしはこんな感じ。
 

伊舎那天について

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 6月15日(月)23時44分18秒
返信・引用
  ある本に白黒の写真で載っていたのですが宝冠を被った伊舎那天像と言うのは
あるのでしょうか?そのマンダラは胎像界曼陀羅でした。宝冠?の形は六角形の
各角から線が伸びた様な形です。鎧なのかも知れません。インドやチベットの曼荼羅に
この様な尊天が存在するのでしょうか。
 

伝の違い

 投稿者:梵智 惇声  投稿日:2009年 6月13日(土)20時58分56秒
返信・引用
  はい、こーだいの科目等履修生で、
そもそもはオペラ歌手やら指揮やら作曲やら、
という人間です。

結局、伝の違い、というところに尽きるんですよね。(笑)

色々わかってくるにつれ、声明略誦文に突っ込みを入れたくなってきます。
声明集中秘事多し、とか、口伝の存す、とか、
口伝だの秘事だのになってるのは、
楽譜を論理的に発達させずに伝言ゲームばっかしやってたからだろうが!と。(笑)
これが、西洋音楽の音楽家の観点から、南山進流声明に対して言いたいことですね。

で、件の露地の偈ですが、
おそらく大師匠さんの伝か、それに近いものが
今年現在の大菩提院での節になっているんでしょうね。
「ごうぶく」でしたし。

もちろん、声明略誦文に対して上記のような見解を持つ私ですから、
隆蓮房さんが間違えているとか、大師教会で伝授した方が間違えたとか、
そういう風には思わないのですけども、
おそらく大師教会と大菩提院(ではおそらく授戒にしか使わないでしょう)とでは、
たかだかあの程度の距離であるにもかかわらず、(笑)
首を捻られるほどの大きな違いがあるんだろうなあ、と思ったわけです。
しかしお師匠さんは大師教会伝を聴く機会がなく、
下手すると初めて隆蓮房さんで聴いたのかもしれませんね。

しかしながら理趣経にしろ讃にしろ、
本当に寺院ごとで違うので、いつも神経とがらせて、頭をチェックします。(笑)
今、声明の授業は辻先生なのですけど、
時折、部分的に「楽譜どおり」の唱え方で教えてくださることがあります。
(昨日、というホットな話題としては、「仏讃」の頭とか)

実は、極力口伝のようなものを排除した形で、
楽譜に忠実な西洋式楽譜を準備して勉強会してみたいな、
などと考えています。
つまり、音楽学的な意味での正確さを追求する道も提唱してみたいな、と。
 

弔辞について

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 6月13日(土)13時05分19秒
返信・引用
  私はつい最近まで知らなかったのですが、亡くなった人に対して「ご冥福をお祈りします。」と言う言い方はいけない、と言う事ですが亡くなった人に対しては本来はどういう
言い方が正しいのでしょうか?「冥」と言うのは暗いと言う意味で仮に生前仏教を信仰して
いた人にこの言い方をすると「仏の世界に入る事が出来ない事を福としてそれを祈る」と言う事になってしまうのではないでしょうか?キリスト教の葬儀では亡くなったとは言わずに
「神の下ヘ赴いた」とか「神に召された」と言う言い方をして曖昧な言い方をせず神と共に
あるとか、はっきりしていますが仏教では如何して「冥福を祈る」と言うのでしょうか。「神と共にある」と言うのは何も死者に限っておらず生者にもこの言い方はします。仏教
ならば「仏と共にある(いる)」と言うのが正しいと思うのですが如何思われますか?
 

青葉祭のご志納について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月12日(金)16時09分1秒
返信・引用
  いつも連絡が遅くて申し訳ありません。

本山ならびに瑠璃光庵へのご寄進ですが、
まだの方は下記までよろしくお願いいたします。

ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方
記号18160 番号25935141
瑠璃光庵(ルリコウアン)

他金融機関からのお振込み
ゆうちょ銀行
店名 八一八(ハチイチハチ)
店番 818
口座番号 2593514

6月15日が楽しみですね!
ご宝号の念誦が虚空に遍満しますように。
この徳行の功徳を一切衆生に回向しましょう。
 

Re: 露地の偈

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月 9日(火)15時33分25秒
返信・引用
  > No.995[元記事へ]

梵智 惇声さんへのお返事です。

現役のこーだいの方でしょうか?
ご来庵ありがとうございます。

> ひょっとすると、除結尽無餘の「無」と、比丘聞当集の「当」にも
> ユリを入れておられますけれども、
> それが?なのではないでしょうか。
>
> 先日、大学の大菩提院で授戒を受けましたが、
> その際は「無」と「当」にはユリはありませんでした。
> それがスタンダードになっているのであれば、
> ?と思われたのも頷けます。

うう〜〜〜〜ん、どうなんでしょう?
そもそも大学でもスタンダードってあるようでないというところが本音かも。
先生によって微妙に違うことはよくあります。
伝承の違いという感じです。

・・・というか、私、大学で露地の偈なんて唱えたことないです。
声明の授業で出てこなかったと思うし、受戒は大菩提院でなく円通律寺で受けましたので。
加行でも誦えなかったけど、もしかしたら男僧さんは誦えるんでしょうか?(道場が別だったのでわかりません)
大学卒業してからは、行のたびに誦えてはいるけど、それは個人的に習ったものです。

さて、私の師の師(故人)がお誦えしているテープを聞きますと、確かにユリがほぼないように聞こえます。
しかし、ユリがどうとかいう問題だけではなくって、発音(読み方)がそもそも違っているんですね。
節の雰囲気もかなり違うんです。
たぶん、こちらが大学スタンダードということになるのではないでしょうか?

例をあげると「降伏」は大師教会スタンダードでは「ごおぶく」ですが、師の師は「ごうぶく」と発音しています。
「ぎゃかんち」は「ぎゃけんち」などなど。
その辺も含めて?というお顔をされてしまいました。

しつこいくらいに「ごおぶく」と大師教会において伝授されていますので、これはうっかり間違い(授者受者双方)ではなく、大学(師は大学で教えていたので)とは伝が違うということです。

ですから、大師教会の誦え方は大学関係とは違うのでは?ということは言えると思います。
そして、このHPは大師教会支部ということでやっておりますので、大師教会の伝に習ったまでです。

ところが、じゃあ、大学のスタンダードは永遠に普遍なのかと言うと、そうではなく、「先生によって微妙に違う」ことは先述いたしましたが、やっぱり時代によって変化するんです。

私の師の師の時代だと、古風で優雅な誦え方をなさっています。
私が大学で学んだ時代は、かなり教え方も誦え方も現代的だったと思います(一部ちょっと古風なせんせいもいらっしゃった)。
星月夜で宮下氏のシンセサイザーとコラボしてたり、五線譜に移した譜なども土産物屋で売っていますし。

それと、理趣経にしろ讃にしろ、実は各宿坊によって案外違うものなんです。
下に行くともっと違います。
そんな時どうするのか。
これは、「みんなにあわせる」(笑)です。

まあ、宥快さんもそうしなさいって言っているんで。
 

露地の偈

 投稿者:梵智 惇声  投稿日:2009年 6月 9日(火)01時01分36秒
返信・引用
  はじめまして。
露地の偈についてのページで、
「声明の師に?という顔をされた」との記述がありましたが、
ひょっとすると、除結尽無餘の「無」と、比丘聞当集の「当」にも
ユリを入れておられますけれども、
それが?なのではないでしょうか。

先日、大学の大菩提院で授戒を受けましたが、
その際は「無」と「当」にはユリはありませんでした。
それがスタンダードになっているのであれば、
?と思われたのも頷けます。
 

青葉祭申し込みについて

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月 6日(土)15時01分46秒
返信・引用
  申し込み締め切りは一応6月10日までと致しますね。
どうかよろしくお願いします。

稚児大師のほうがよかったかも・・・・・とも思いますが、御影は御影でよい出来栄えですので、持ち運びも可能なようにしっかり加工しときますので、お楽しみに!

お申込みいただいた方には、後ほど振込先をご連絡します。
もう少々お待ちくださいね。
 

Re: 今年は

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月 6日(土)11時47分56秒
返信・引用
  > No.992[元記事へ]

空さんへのお返事です。

> お久しぶりです。

うわあ、ほんと、お久しぶりです!
お元気でいらっしゃいましたか?

> 今年はなんと天台座主が高野山へいらっしゃるとか。
> すごい話ですよね。

そうなんですか!
ローマ法王とダライ・ラマが会見するような時代ですから、各宗派の交流はどんどんやっていただきたいですね。

私、天台の潅頂も受けたことありますよ。
個人レベルでは盛んに行われていると思います。

色々な情報やご意見をお聞かせいただけるのを楽しみにしています。
よろしくです。
 

今年は

 投稿者:  投稿日:2009年 6月 2日(火)01時32分46秒
返信・引用
  お久しぶりです。
今年はなんと天台座主が高野山へいらっしゃるとか。
すごい話ですよね。
 

青葉祭

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月 1日(月)14時16分16秒
返信・引用
  6月15日は弘法大師の降誕会です。
大師教会本部では宗祖降誕会の法要が執行され、そのお徳を称えます。
みなさまにおかれましては、このよき日を記念し、お大師様のご宝前に報恩の真心を捧げましょう。

本山では御寄進を受付いたしております。
一口千円からお願いいたします。

また、今年は隆蓮房が得度して20年にあたり、当庵でも懇ろに修法を行いたく思っております。
こちらもご法縁を結んで頂くべくご寄進(燈明料)の受付をいたしております。

燈明料というのは、みなさまが瑠璃光庵の修法のためのご寄進をしていただくことですが、皆さま自身が「仏法興隆」「密教紹隆」のためのスポンサーとなり、徳を積むことになります。
燈明は仏教で重んじる智慧の象徴であり、燈明を捧げることは各国の仏教寺院で推奨しております。
そのため当庵ではご寄進のことを「燈明料」と称しております。

どうか、お心の中に智慧の燈明を灯してください。

今年は私にとっても節目ですので、お大師さんの最もスタンダードな図像である御影堂の御御影(真如親王筆)の複製画を用意いたしました。
当庵にご寄進いただいた方々には、当日お加持いたしまして記念品としてお配りしたいと考えております。

あなたのお手元に一体いかがでしょうか。
人生はお大師さんとの同行二人です。


本部への寄進ならびに当庵への燈明料のお申し込みは下記からどうぞ。
住所氏名と金額をご明記くださいね。
http://form1.fc2.com/form/?id=238968
 

Re: 祝!甥っこご誕生!

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 6月 1日(月)13時45分9秒
返信・引用
  > No.989[元記事へ]

piicatsさんへのお返事です。

> おめでとうございます。大変でしょうに、裁縫に、お仕事に。師は、やはり千の手を持つ観音様?


わ〜、ありがとうございます!
あっちのブログも見てくださったのですね。

私は千手観音ではないですけど、「阿修羅のごとく」三面六臂?八面六臂?
修羅場ってますが、なかなか・・・・・です。



>私、来週6日に、娘のバージンロードエスコートですよ。

うわ〜〜〜、それはそれは、感無量ですね!
おめでとうございます!
ジューンブライドですねぇ。
さぞやお美しい姿でしょう。
楽しみですね。
そして、ちょっとさびしいのかしら?


>五月も終わります。日常や非日常の出来事の中で、日々や時間が流れていくのですね。朝から、大阪は驟雨。ちょっと肌寒いですね。たゆたい時間です。どうか、すべての生きとし生けるもの、万物に仏のご加護がありますように。今日も、お写経ですね。

本当ですね。
ご一緒に歩んでまいりましょう。
この仏道(ブッダ・ロード)を。
私がちょっとだけエスコートできるかな? いや、同行二人ですね。
 

祝!甥っこご誕生!

 投稿者:piicats  投稿日:2009年 5月31日(日)08時25分5秒
返信・引用
  おめでとうございます。大変でしょうに、裁縫に、お仕事に。師は、やはり千の手を持つ観音様?私、来週6日に、娘のバージンロードエスコートですよ。五月も終わります。日常や非日常の出来事の中で、日々や時間が流れていくのですね。朝から、大阪は驟雨。ちょっと肌寒いですね。たゆたい時間です。どうか、すべての生きとし生けるもの、万物に仏のご加護がありますように。今日も、お写経ですね。

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/hennro4(7).htm

 

Re: ご指導ねがえたら.....と。

 投稿者:武彦  投稿日:2009年 5月22日(金)07時25分19秒
返信・引用
  > No.986[元記事へ]

隆蓮房さま

ご回答(レスポンス)ありがとうございます、参考にさせて頂きます。

今日も宜しくお願いいたします!

http://23.pro.tok2.com/~choraku

 

Re: うおぃっす!

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 5月20日(水)21時39分35秒
返信・引用
  > No.984[元記事へ]

ぴーたんさんへのお返事です。

> ひさしぶりにきてみたら、60000ひっとしてるじゃあありませんか。
> おめでとうございます。

あれ? ほんとですね。
キリ番はどなたがふんだんでしょう?

66666はがんばってください!
 

Re: ご指導ねがえたら.....と。

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 5月20日(水)21時38分28秒
返信・引用
  > No.985[元記事へ]

武彦さんへのお返事です。

> 隆蓮房さま。
>
> 「断食」するときの作法・お約束・注意点など、教えて頂けないかと思い、カキコしました。


私、この辺りについては過去に論文を書いていて、PCで打ち直さなきゃなあなんて思っているんですけど、なかなかそこまで手が回りません。

要旨だけ述べます。

簡単に言うと、断食って過度にすることは経典で戒められていて(それでもやる人はいるんだけどね)、結願座に一昼夜断食するためだけに数週間かけて食を減らしていくんです。

そして一昼夜断食したあと、徐々に戻す。

吸収が良くなっているので、一気にリバウンドというか太るんだけど、そのあと徐々に最初の体重に戻ります。

この方法が一番いいです。


まず、太陽が南中したら、そのあとは固形物はとりません(非時食)。
五穀だち → 十穀だち → 菜食とすすみます。

初めは一日二食ですが、一食に減らします。

最後には塩断ち・・・・・これが一番苦しい。
五辛、要するに匂いのきついものも禁じますが、キノコもダメ。
昆布以外の海藻もダメです。

経典では許されているのですが摂らないほうが良いものは、乳製品や甘いもの。
果物もあまり摂らないほうがいいです・・・・・冷えるから。
干し柿のようなものはいいでしょうが。

断食で何が怖いかというと、冷えです。
私は七月に霜焼けになりました・・・・・。
 

ご指導ねがえたら.....と。

 投稿者:武彦  投稿日:2009年 5月20日(水)10時11分21秒
返信・引用
  隆蓮房さま。

「断食」するときの作法・お約束・注意点など、教えて頂けないかと思い、カキコしました。

ダイエット目的ではなく、精神集中ってところなんですけど。

http://23.pro.tok2.com/~choraku

 

うおぃっす!

 投稿者:ぴーたん  投稿日:2009年 5月16日(土)23時21分55秒
返信・引用
  ひさしぶりにきてみたら、60000ひっとしてるじゃあありませんか。
おめでとうございます。
 

ありがとう

 投稿者:月光仮面菩薩  投稿日:2009年 5月11日(月)23時46分54秒
返信・引用
  ぼるぼさま。
私は、あの時以来、考え続けていました。
ですが、私の中に巣くう心の岩石が、ある瞬間消えたのです。
今まで生きて・・決して、なくすことのない過去の傷が、一瞬のうちに、砕け散った経験をしました。

私は、今、なぜに、この仏教という法に出会えた奇跡・・それは、私が父や母から受け継いだものであり、それを理解するまで、ここに至りました。

私は、この場、この瞬間に出会えた奇跡に近いご縁を、この隆蓮房さまの掲示板で、出会えました。

やっと、この掲示板に書けるまでにいたりました。待っていてくださってありがとうございます。お知らせいただいた文章は、印字いたしました。
涙があふれてきます。

私が、求めていたものは、この世の不条理に、嘆くこともありますが、私が、今、ここに存在することに感謝いたします。
ありがとうございます。

私と一緒に受講しているメンバーは、この世の苦を受けた方々で、がんに侵され、嘆き、不安になりながら、四国歩き遍路をされた方がいます。
また、そのようなメンバーに出会えたことも、私は、仏教に出会え、仏を希求したことは、生きる意味において、間違いはなかったと思っています。

これからも、どうぞ、ご教示ください。
涙があふれて・・あー泣いています。アハハ・・嬉し涙です・・よ。
 

Re: なぜになぜ

 投稿者:ぼるぼ  投稿日:2009年 5月11日(月)20時11分55秒
返信・引用 編集済
  > No.981[元記事へ]

月光仮面菩薩さんへのお返事です。

月光仮面菩薩さん、お久しぶり。

ちょうどいい具合に話題を振って呉れてよかった。

もう一つの記事を引用しようかと思っていたところでした。

空海の時代もさることながら、釈迦の時代の方がはるかに生き辛い環境であったと思われます。死について悩み、それを乗り越えた悟りに至る喜びも、切実に語られた筈です。

この記事、おせっかいかも、ですが紹介します:


http://www.nehan.net/syakanomiti.html


>
> そういうことだ・・私が、なぜに、仏教に関心を持つのか?
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> 人間は、生まれたら、100%死ぬ存在である。若いが、若くないだろうが、関係はない。
> だからこそ、人間は、社会的な横関係と、垂直関係である仏との関係を求めるのだということを、理解した。
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> それは、死を意識する病気になるということだけではなく、私たちは、自己を超えた存在である大いなる者・仏を求め、そして、そこに、新たな関係性を持ち、いのちが再生する。
>
> そんなふうに思えた。

この認識についてのコメントなんですが、だれでもおんなじ風に思うわけで、今回は他人の記事を共鳴しつつ拝借コピーしました。
 

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