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大阪太融寺を会場に、二回目のスピリチュアルケアワーカー講習会に参加しました。
今回は、スピリチュアルケア概論、障害者福祉から見たスピリチュアルケアの二科目でした。
この研修会は、基盤は、真言密教ですが、スピリチュアルケア概論は、日本のターミナル(終末期)医療において、スピリチュアルケアの草分け的存在であり、多くの実践知を持つ、元淀川キリスト教病院の牧師さま、窪寺俊之先生が、講師でした。
その講義の中で、今回初めて実感したことがあります。
人間が、死を意識する病気になるということは、家族・友人・知人・所属する社会の人間関係などの横の関係性の喪失です。たとえば、築いた地位、家族関係など・・なぜに?今ここで?死ななければならないのか・・?と、いうことから、人間は、苦脳します。
何か、罰を受けているのか?
こんなに一生懸命生きてきたのに。
この家族を遺して死ななければならないのか。
なぜ?私だけが?
と・・いうふうに考え、その喪失感は、しだいに、不安となり、死んだ先は、どうなるのか?
この人生の危機(クライシス)は、
1.肉体的意味=健康を損なう
2.精神的意味=心が裂ける、引き裂かれる、割ける
3.社会的意味=社会から乖離する、離脱する
4.霊的意味=自分自身の存在の根拠を失う、人生の意味を失う、死後に不安を持つ
ターミナルの意味;終着点と折り返し点の二つの意味がある。
生物学的生命は、終り。霊的ないのちは、新しい出発。
スピリチュアルケアとは、折り返し点で、新しいいのちが、もう一度始まる、そこに希望を見出すような援助をすることである。
垂直的関係は、キリスト教で言えば、神・・仏教でいえば仏。
その大きなるものとのつながりを、人間は、希求する。
霊的存在(スピリチュアル存在)としての人間は、自己を超えたものへの関心、祈り、死後のいのち、将来への夢、赦しを願う。
そういうことだ・・私が、なぜに、仏教に関心を持つのか?
人間は、生まれたら、100%死ぬ存在である。若いが、若くないだろうが、関係はない。
だからこそ、人間は、社会的な横関係と、垂直関係である仏との関係を求めるのだということを、理解した。
それは、死を意識する病気になるということだけではなく、私たちは、自己を超えた存在である大いなる者・仏を求め、そして、そこに、新たな関係性を持ち、いのちが再生する。
そんなふうに思えた。
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