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> No.995[元記事へ]
梵智 惇声さんへのお返事です。
現役のこーだいの方でしょうか?
ご来庵ありがとうございます。
> ひょっとすると、除結尽無餘の「無」と、比丘聞当集の「当」にも
> ユリを入れておられますけれども、
> それが?なのではないでしょうか。
>
> 先日、大学の大菩提院で授戒を受けましたが、
> その際は「無」と「当」にはユリはありませんでした。
> それがスタンダードになっているのであれば、
> ?と思われたのも頷けます。
うう〜〜〜〜ん、どうなんでしょう?
そもそも大学でもスタンダードってあるようでないというところが本音かも。
先生によって微妙に違うことはよくあります。
伝承の違いという感じです。
・・・というか、私、大学で露地の偈なんて唱えたことないです。
声明の授業で出てこなかったと思うし、受戒は大菩提院でなく円通律寺で受けましたので。
加行でも誦えなかったけど、もしかしたら男僧さんは誦えるんでしょうか?(道場が別だったのでわかりません)
大学卒業してからは、行のたびに誦えてはいるけど、それは個人的に習ったものです。
さて、私の師の師(故人)がお誦えしているテープを聞きますと、確かにユリがほぼないように聞こえます。
しかし、ユリがどうとかいう問題だけではなくって、発音(読み方)がそもそも違っているんですね。
節の雰囲気もかなり違うんです。
たぶん、こちらが大学スタンダードということになるのではないでしょうか?
例をあげると「降伏」は大師教会スタンダードでは「ごおぶく」ですが、師の師は「ごうぶく」と発音しています。
「ぎゃかんち」は「ぎゃけんち」などなど。
その辺も含めて?というお顔をされてしまいました。
しつこいくらいに「ごおぶく」と大師教会において伝授されていますので、これはうっかり間違い(授者受者双方)ではなく、大学(師は大学で教えていたので)とは伝が違うということです。
ですから、大師教会の誦え方は大学関係とは違うのでは?ということは言えると思います。
そして、このHPは大師教会支部ということでやっておりますので、大師教会の伝に習ったまでです。
ところが、じゃあ、大学のスタンダードは永遠に普遍なのかと言うと、そうではなく、「先生によって微妙に違う」ことは先述いたしましたが、やっぱり時代によって変化するんです。
私の師の師の時代だと、古風で優雅な誦え方をなさっています。
私が大学で学んだ時代は、かなり教え方も誦え方も現代的だったと思います(一部ちょっと古風なせんせいもいらっしゃった)。
星月夜で宮下氏のシンセサイザーとコラボしてたり、五線譜に移した譜なども土産物屋で売っていますし。
それと、理趣経にしろ讃にしろ、実は各宿坊によって案外違うものなんです。
下に行くともっと違います。
そんな時どうするのか。
これは、「みんなにあわせる」(笑)です。
まあ、宥快さんもそうしなさいって言っているんで。
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