投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索画像・ファイル<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR]  ハワイパッケージツアー 群馬の求人・転職 seo 新宿 インプラント
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全1000件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  |  《前のページ |  次のページ》 

Re: 曼荼羅ホログラフ

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 8日(日)18時53分8秒
返信・引用 編集済
  > No.882[元記事へ]

piicatsさんへのお返事です。

>  私、勉強を始めたのがH15年ですから、初期の頃に高野山の大師教会を訪ねました。なんと入り口を入ったところに、あのホログラフの立体曼荼羅がありました。

あの曼荼羅ですが、私がもうちょっと理系男子だったら、単純化したものならば作れそうな気がしちゃうんですけど。
ジュリちゃんなんか、治療院の照明サクサク作ってくれたりして、やっぱ男の子だな〜って思ったんで。
(この男女平等の時代に、何を時代錯誤なこと言っているんでしょうね、私。
 でも、私が中学生の頃って、まだ男子と女子で技術と家庭科が分かれていた時代なんだよね)
せめて時間さえあれば、なんとかなりそうなんだけどな〜。


>先の記事で、隆蓮房師が触れておられましたが、曼荼羅の方向は、気が回っているのです。その真ん中に立てば、自分の体を巡るのです。そして、「金剛サッタ」と同一化(一体化)していくのだと私は思っています。それが、勤行ですよね。だから仏壇とか、方向というより、両界曼荼羅で挟んだら、そこが結界?!かな。

んだんだ! ← 伊達な県弁
要するに、曼荼羅に挟まれたその空間が「宇宙」そのものなんだよね。
仏の「胎」なんだよね。
だから、仏の胎に包まれている私達は、仏の御子に他ならない。


>居間全体を、曼荼羅世界みたいに思っています。自分はいつも北の祭壇の前に(尻向けて?)座っています。背負っている感じ。

なんとありがたい空間なんでしょうね、その居間。
私、そこに住みたいです(笑)。

そうそう、「背負っている」これですよ、梵字Tシャツのコンセプト。
梵字が光耀と輝き後光となって行者から噴出するイメージ。
だけど、前が寂しいとか散々ご指摘いただいて、それは全くそのとおりだと納得していますんで、百万体プロジェクトでは胸や袖にも入れられたらと思ってるんですけどね。

http://ruriko.hanagumori.com

 

曼荼羅ホログラフ

 投稿者:piicats  投稿日:2009年 3月 8日(日)15時56分17秒
返信・引用
   「曼荼羅」のお話に、補足です。私、勉強を始めたのがH15年ですから、初期の頃に高野山の大師教会を訪ねました。なんと入り口を入ったところに、あのホログラフの立体曼荼羅がありました。曼荼羅を見てはいましたが、そのとき「なるほど。曼荼羅は、須弥山を真上から見たものだったのかあ!」と本当に目からうろこでしたよ。高野山の金堂にある巨大な血曼荼羅?!でも、実感は霊宝館の入ったところに通路の両側に両界曼荼羅があり、正面に大日如来がおられる。そこに立てるのです。すごいですよ。先の記事で、隆蓮房師が触れておられましたが、曼荼羅の方向は、気が回っているのです。その真ん中に立てば、自分の体を巡るのです。そして、「金剛サッタ」と同一化(一体化)していくのだと私は思っています。それが、勤行ですよね。だから仏壇とか、方向というより、両界曼荼羅で挟んだら、そこが結界?!かな。私は、部屋の北側に南向きに祭壇を作り、東と西に「阿修羅」の写真を。曼荼羅の間に「一字金輪曼荼羅」を挟んでいます。南側には、四国88箇所の本尊像のお札を額に88枚入れて、北向きにかけています。居間全体を、曼荼羅世界みたいに思っています。自分はいつも北の祭壇の前に(尻向けて?)座っています。背負っている感じ。
 隆蓮房さま、いけないことや、注意がありましたらお願いします。

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/mandara.htm

 

そういえば・・・。

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 8日(日)14時59分16秒
返信・引用
  > No.880[元記事へ]

さちさんへのお返事です。


> 我が家には仏壇がありませんので、曼荼羅の前で参籠所の勤行次第をやらせていただいております。

高野山大学(今となっては隠したい過去だったりするんで、「こーだい」と略称すると、知らない人はもれなく「どっかの工業大学」と勝手に勘違いしてくれるらしい)の学生課の前辺りに、さりげなく曼荼羅のオブジェっぽいのが壁面にありました。

そこで毎朝学生課の職員さんが一人で軽く勤行していたわ〜。
思い出しちゃった。

暫く行っていないけれど、大師教会本部にはこんな曼荼羅を設置したらしいです。
http://www.ho-tech.jp/porrtfolio/200307_mandara/
夜とかキレイでしょうね〜、今度合宿(?)があったら見てみよう!

「真言宗の本尊は何?」
と聞かれたら、「大日如来」と答えるのがデフォ。
「何でもいいんですよ」もオッケー。
「曼荼羅です」これは玄人だと思う。

大日如来がなくても真言宗寺院足りえるけれども、曼荼羅がなければ行は出来ない。
もっとも、何か一尊でも仏像仏画があれば、それは曼荼羅中の一尊であるわけだから、ダメではないのだけれどね。

http://ruriko.hanagumori.com

 

隆蓮房さん、ありがとうございました。

 投稿者:さち  投稿日:2009年 3月 8日(日)00時29分55秒
返信・引用
  大変ためになりました。
気になっていたのがスッキリしました。
我が家には仏壇がありませんので、曼荼羅の前で参籠所の勤行次第をやらせていただいております。
向きはそのままにします。
ありがとうございました。
 

Re: すみません、教えて下さい

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 7日(土)23時57分17秒
返信・引用
  > No.878[元記事へ]

さちさんへのお返事です。

> 家の間取りの都合で、一階の東側の壁になっています。
> しかし通常は東には祀りませんよね?


いくつかの考え方があります。

1.壇をどちら向きに構えるか?

四種法といって、四方それぞれに意味があるので、四つの向きのどれに構えても間違いではない。
ただ、意味合いが多少違ってくる。

ちなみに当瑠璃光庵は東向きに壇を構えています(東方薬師尊)。
別院観音堂は西向きです(西方阿弥陀尊)。


2、仏壇といえば、北側じゃね?

これは、インドの考え方というより、中国の考え方ですね。
「王者は南面する」
王は北側に玉座をしつらえ座ると、南を向くことになります。
日本には「北面の武士」という言葉もありますね。
王者は南面し、臣下は北面して王に対面します。
仏はこの世の王を超越した王なので、それに仕える私達は北を向くようにします。


3.運心(うんじん)

実際には他の方角を向いて壇を構えていても、「こっちは北向きです」ということにする。


4.でもさ、曼荼羅を見てみようよ。

胎蔵曼荼羅は下が南になっているよね?
金剛界曼荼羅は下が東になっているよね?
だから、金堂なんかでは東の壁に胎蔵曼荼羅をかけて、西の壁に金剛界曼荼羅をかけているのよ。
わかるでしょうか?
まあ、これはとても特殊な例ですが、密教の世界観をよくあらわしていると思います。


とりあえず、粗末にならなければいいのではないでしょうか?

http://ruriko.hanagumori.com

 

すみません、教えて下さい

 投稿者:さち  投稿日:2009年 3月 7日(土)22時52分3秒
返信・引用
  お正月に、京都の東寺さんで両界曼荼羅の色紙を買い、飾って(祀って?)おります。
毎朝、ローソクをつけ、お香をたいて、両手を合わせて真言等唱えておりますが、家の間取りの都合で、一階の東側の壁になっています。

二階があるので、「空」と書いた紙を曼荼羅の上に貼っています。
しかし通常は東には祀りませんよね?

曼荼羅は、悟りの内容を表したもので、仏壇とか神棚ではないのでいいかな?と思いつつ、多少気になっております。
やはり、向きを変えるべきでしょうか?
 

提案です。

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 7日(土)20時01分54秒
返信・引用 編集済
  私自身は口が悪いので、毒舌や辛口の批判が気にならないんですけどね、中には気になる人もいらっしゃるようで・・・・・。

で、書き込みをするときには、冒頭に「ひとりごとです」とか「厳しい意見はご遠慮下さい」とか書いてくれればそれなりに対処したいと思います。
皆さんもそうしてください。

逆に、批判を恐れず討論したい、というスタンスの方は「厳しい意見も待ってます」とかそんな風に添えてはいかがでしょうか?

ただ、一方的に他人の意見を否定しておきながら「私への反論は受け付けません!」ってのはナシだからね。


私の管理が行き届かないのでご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。
本当は、ここに集う人の自主自律で運営していければ一番いいと思っています。

また、削除依頼やこの掲示板へのご意見は管理人までお寄せ下さい。
よろしくお願いいたします。

http://ruriko.hanagumori.com

 

Re: 軽くショック(苦笑)

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 7日(土)19時51分5秒
返信・引用
  > No.875[元記事へ]

広大なる慈門さんへのお返事です。

>
> しかし、東洋の魔女と言われた往時の日本女子バレーチームだって、鬼の大松監督にしごかれたから金メダルを取れたんじゃないか、と思えば、まあいいか。
>
そっか、私は平成の東洋の魔女なのか、師は監督だったのか!!


> > 弘法大師は天性の才能は持っていた、それは間違いない。
> > でも、だからといって地道な努力を疎かにしたわけではないですよ。
> > 基礎的学問は一通りマスターしています。
>
> 空海はもっとすごい天才だったような気がします。日本仏教のスパースターだもんね。

ってか、弘法大師は日本仏教なんて枠に収まりきらないお方だもんね。

ある時は、文学者(文学論は必見)
ある時は、詩人(本場の中国人を驚嘆させる)
ある時は、小説家(数々の著作を精力的に書き上げる)
ある時は、言語学者(日本最初の辞典を作る)
ある時は、教育者(誰でも入れて授業料タダという画期的な学校を作った。すぐつぶれたが)
ある時は、人間国宝級の書家(いわずと知れた、三筆の筆頭)
ある時は、伝統工芸者(こだわりの筆製作)
ある時は、天皇のスーパーアドバイザー。
ある時は、ハイテク土木事業者(満濃池の修復)
ある時は、鉱山技師(水銀鉱脈と深いかかわり?)
ある時は、謎の山岳修行者(各地に伝説を残す)
エトセトラ、エトセトラ・・・。



> ただし、入唐するまでの勉強は、特に大した師についていた訳ではない。

そうなんですよね、他の祖師方が幼少の頃から出家して修行を積んでいたことを考えると、31歳のデビューってすごく遅いです。
でも、そこからあっという間に頂上まで上り詰める。
宗教者としての活動は、他の方々の約半分で、あれだけのことを成し遂げちゃうっていうのはすっげ〜。

ん? 大した師?

>
> むしろ、独学して基礎的教養を得たと言ってよい。

それは違うんじゃない?
おじさんが有名な学者さんだったので、漢学の基礎はみっちり叩き込まれたと思うよ。
仏教の基礎だって、国内でも国外でも師について学んでいるよ。


> 基礎学問は大切ですが、別に有名大学に行ったり、高名な師に付いたりする必要はない。

どうなんだろうね?
「有名」か「高名」かはともかく、基礎学問を独学でやるのはおそろしく非効率的です。
漢学にしろ仏教にしろ、解釈というものは必要不可欠で、本を読んだだけではわからない。
2000年くらいかかって先人たちが積み上げてきた集大成を体現しているのが、師なわけです。
それを利用(?)せずに、一から自分でやろうとすると、単純に2000年以上かかるわけですから、寿命が尽きてしまうんじゃない?

弘法大師は恵果阿闍梨に就いたわけですが、もしその出会いがなかったら・・・・・?
密教の基礎の総仕上げが灌頂ですよ。
それは、しかるべき人から受けないと意味がないんじゃ?

>
> いまや、ひょとすると、インターネットで調べるだけで十分な基礎教養が得られて、機が熟
>
> せば然るべきホームページに出会えて、悟れるかもしれない。

ははは、そういう日が来るかもしれないし、来ないかも知れないね。

http://ruriko.hanagumori.com

 

Re: 軽くショック(苦笑)

 投稿者:広大なる慈門  投稿日:2009年 3月 7日(土)09時00分17秒
返信・引用 編集済
  > No.871[元記事へ]

隆蓮房さんへのお返事です。

親愛なる隆蓮房さま

> ええ〜〜〜〜、私、今時の若僧にしてはおそらくありえないほどクラシカルなスタイルで修行をしています。 ←師僧の方針。当時は鬼〜!と思ったけど、今となってはありがたい。
> 心外だな〜〜〜〜(苦笑)。

まだ若き、おそらくはおぼこ娘であったであろう隆蓮房さまが、鬼のような特訓を受けてい

たのかと思うと、親心として泣きたい心境であります。

しかし、東洋の魔女と言われた往時の日本女子バレーチームだって、鬼の大松監督にしごか

れたから金メダルを取れたんじゃないか、と思えば、まあいいか。


> 天才ではなく努力型のつもりでいたのですが・・・・・・(天才型と言われると積み上げてきた努力を否定されたような気がするぞ。う〜む)。

天才なくして持続して精進努力することは不可能です。

また、小我が積み上げて来た自力の努力も、天才を発揮する道具ですから、もちろん無駄で

はありません。(小我を離れれば一切清浄ですからね)

それと、

> 弘法大師は天性の才能は持っていた、それは間違いない。
> でも、だからといって地道な努力を疎かにしたわけではないですよ。
> 基礎的学問は一通りマスターしています。

空海はもっとすごい天才だったような気がします。日本仏教のスパースターだもんね。

そもそも、空海は、理趣経を書いた不空が死んだ日に生まれた(らしい)。

ダライラマの生まれ変わりと同じだ。

生まれる時点で不空や恵果の後継者となるべく、運命付けられていた。

大唐で大流行していた密教を日本に移植して、真言密教として、新しく宗門を開設する使命

があった。

ただし、入唐するまでの勉強は、特に大した師についていた訳ではない。

むしろ、独学して基礎的教養を得たと言ってよい。

基礎学問は大切ですが、別に有名大学に行ったり、高名な師に付いたりする必要はない。

いまや、ひょとすると、インターネットで調べるだけで十分な基礎教養が得られて、機が熟

せば然るべきホームページに出会えて、悟れるかもしれない。
 

Re: 信仰の効験について質問

 投稿者:JOE  投稿日:2009年 3月 6日(金)07時39分13秒
返信・引用
  > No.872[元記事へ]

隆蓮房さんへのお返事です。

> それならば「加持祈祷の原理と実修」。
> 私たち行者のバイブルです。
ご紹介ありがとうございます・・・すぐにでも注文させていただきますね。
お忙しい中ご丁寧にどうもありがとうございました。更新を気長に待ってますね^^。  合掌
 

Re: 広大なる慈門さまへ

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 5日(木)21時44分27秒
返信・引用
  > No.870[元記事へ]

広大なる慈門さんへのお返事です。

> > 「直感で飛ぶタイプ」と「直感で飛ぶことはないタイプ」と書かれていましたが、「飛ぶ」というのは、具体的にどういう意味なのでしょうか。
>
> 飛ぶ、とか、悟るとか、書きましたが、隆蓮房さまが「!」と書かれたのとおんなじで、不
>
> 立文字の理念なんで、具体的にって言われると無限の展開が可能になるんですよ。
>
> 握れば無、開けば無窮の空間ってなもんで、あるいは結べば柴の庵、解けば元の野原、

そうなんですよ、「!」としか書きようがないんです。

>
> > また、後者はいつまでたっても飛ぶことはないと批判されているように思えるのですが、飛んだ方が望ましいのでしょうか?私もどちらかというと、石橋タイプなので・・・
>
> 人間には自由が与えられていましてね、何を望み、なにをするか、本人の勝手なんです。


以前、この掲示板によくお出ましだった方が
「得る行なんておかしい、捨ててこそ行だ。
 何度もやっても捨てきれないのを恥と思うべきであって、
 幾度もまわっているのを、得々と自慢するのはおかしい!」とおっしゃっていました。

それも一理ありますが、私は思うのですよ。

得ても得なくてもいい。
捨てても捨てなくてもいい。
拾っても拾わなくてもいい。
失っても失わなくてもいい。

自由なんです。

飛んでも飛ばなくてもいい。
ただ、心が平安であれば。

http://ruriko.hanagumori.com

 

Re: 信仰の効験について質問

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 5日(木)21時20分59秒
返信・引用
  > No.868[元記事へ]

JOEさんへのお返事です。


> とてもやる気が出てきました!
> こちらのHPにご縁をいただいた事自体が大きな効験です。神仏を冒涜して本当に申し訳ありません。

誰だって「これでいいのかな?」と不安に思うことがあります。
どんなにちゃんと進んでいても、です。
その時に、これでいいのかな?と問うことが出来る善友は必要ですね。

そういえば、釈尊は弟子のことを「善友」と呼んでいたし(格下という扱いではない)、弟子たちも「君」とか「ゴータマ」と呼んでいたわけで。

> そして信仰の心構えの具体的な解説と本の紹介、本当にどうもありがとうございました。

まだまだ沢山良書はあります。
しかし、師の教えを直接聴聞することに勝るものはないです。

そうは言っても、なかなか機会に恵まれない方々が多いようですので、隆蓮房の聴聞した教えをシェアできるものはしたいと思っています。
すなわち「如是我聞」です。
HPの更新をお待ち下さい。

>
> ところで、掲示板『懺悔の間〜さんげのま〜』で三井英光師に関する投稿があり、
> >  原文は40年位前のものなので、少々手入れしてあります。
> と書いてありました。
> 三井師の本を購入したいと思っているのですが、僕のような現代人でも読めるオススメの本はありますか?
> 三井師の行者の心得10か条・・・本に掲載されていればぜひ参考にさせていただきたいのです。

三井師の本はどれもオススメです。
はじめはとっつきにくいかもしれないけど、是非ご購入下さい。
絶版になってからでは遅いです。

> 信仰の実践は、一年間かけてやってきたつもりなので、行の参考の為に本を買いたいと思っておりますm(__)m。

それならば「加持祈祷の原理と実修」。
私たち行者のバイブルです。

http://ruriko.hanagumori.com

 

軽くショック(苦笑)

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 5日(木)21時12分4秒
返信・引用
  > No.866[元記事へ]

広大なる慈門さんへのお返事です。

>
> え〜と、1と2は、十住心論でいうと5以下(小乗まで)の迷い記事で、3が十住心論でい
>
> うと6から9に相当するんだと思います。第十住心に行くには、そこから進一歩、百尺竿頭
>
> から飛ぶしかないですね。

う〜〜〜ん、どうなんでしょうね?
解釈の仕方には、九顕一密と九顕十密とあります。

>
> 隆蓮房さまは、直感で飛ぶタイプに見えますが、これは天才型で、一方ピーキャットさんの
>
> ような堅実タイプの人は直感で飛ぶことはない、石橋をたたいて、渡ると見えて何時までも
>
> 渡らないんではないでしょうか。

ええ〜〜〜〜、私、今時の若僧にしてはおそらくありえないほどクラシカルなスタイルで修行をしています。 ←師僧の方針。当時は鬼〜!と思ったけど、今となってはありがたい。
心外だな〜〜〜〜(苦笑)。

天才ではなく努力型のつもりでいたのですが・・・・・・(天才型と言われると積み上げてきた努力を否定されたような気がするぞ。う〜む)。

直感で(というか野生の感?)で飛んでいるように見えるでしょうが、その感を磨くために努力はしたつもりなんですよ、私の場合。

前にもこんな言い訳をしていましたが、「クラッシャーを名乗っているので皆様は私を型に捉われないイマドキのナンチャッテ僧と思っているかもしれないけれど、驚くほどクラシカルで頑固ですよ!」と。

まあ、これも前に言っているけど、
宗教と無縁な人で、四角四面に現実的にしか物事を捉えない人(孔子タイプ)もいる一方、電波な人(老子)もいますよね。

宗教者で論理的な人(マルパ)もいれば、ぶっ飛んでいる瘋癲の行者(ニョンパ:一休さんの上を行くような人)もいますよね。
(・・・・・すみません、老子は電波じゃないです。でも言いたいことはつたわるでしょうか?)

ぶっ飛んでいる人の中には、ぶっとんでイスカンダルまで行っちゃっている人(妖しげな教祖にありがち)もいれば、
涅槃に行っちゃってる人もいますよね(ミラレパのように)。


弘法大師は天性の才能は持っていた、それは間違いない。
でも、だからといって地道な努力を疎かにしたわけではないですよ。
基礎的学問は一通りマスターしています。

伝教大師も地道な努力の上に才能を発揮していますが、その方向性がちょっと違うのだと思います。

滑走路(=先人の偉業)を磨き上げて(=努力)飛ぶ(=才能の発揮)。

そうそう、piicatsさんだって、あのように努力を積み重ねられるということは、もはや才能ですよ。
私なんかよりずっと才能がある。
だけど、飛ぶためのガイドにまだ恵まれていないから、飛んでないだけ。
でも、バーチャル飛行は私なんかより達人。
リアルの飛行だって、もしかしたら私よりいけてるかもね。


> すべては清浄なのが本質ですから、またその本質を正しく理解すれば、この現象世界は清浄
>
> である訳ですから、いかなる議論があっても問題はないでしょう。
>
魚は水を棲家と見て、餓鬼には血膿と見える。
我々には雑草にしか見えないものも、如来の目から見ると薬。

ずっと前に、地蔵のところの説明で「この無仏の時代に・・・(これはきちんとした引用元があるのですが)」という解説を入れたところ、お叱りを頂きました。
「あなたが仏を見ないだけで、この世は仏菩薩にあふれている」と。

そのとおりです。
私たちの眼に無仏だと見えても、如来の目には仏菩薩で満ち満ちている。
「医王の目には道に触れて皆、薬」なのです。

チャングムでもありましたね。
医女試験の時に、机の上に色んなものを並べて「この中から薬と毒を分けなさい」って。
チャングムは、「使い方によってはどれも薬ともなり毒ともなるので分けられません」と言って正解します。

如来の目にはすべて清浄ですが、地獄の住人にとってはすべて血膿糞尿に移っているのかもしれません。

http://ruriko.hanagumori.com

 

Re: 広大なる慈門さまへ

 投稿者:広大なる慈門  投稿日:2009年 3月 5日(木)16時56分15秒
返信・引用
  > No.869[元記事へ]

道すがらさんへのお返事です。

> 始めまして。

はい、当方暇ですから、何なりとご用命ください。でも、お名前が、なんとなくつれない感

じの方ですねえ、で、さっさとお答えしないとプイとどっかに行ってしまわれそう・・・

> 「直感で飛ぶタイプ」と「直感で飛ぶことはないタイプ」と書かれていましたが、「飛ぶ」というのは、具体的にどういう意味なのでしょうか。

飛ぶ、とか、悟るとか、書きましたが、隆蓮房さまが「!」と書かれたのとおんなじで、不

立文字の理念なんで、具体的にって言われると無限の展開が可能になるんですよ。

握れば無、開けば無窮の空間ってなもんで、あるいは結べば柴の庵、解けば元の野原、と

か、ね。

五官に執着して生きている人間に対して、たとえとして言うなら、莫大な富を得るだとか、

酒池肉林の快楽を味わうこと、とか、位人臣を極めるとか、卑近な例だと、試験に合格する

とか、幸せな結婚をして、家族全員円満で健康で豊かな生活をする、とか、ということです

ね。

> また、後者はいつまでたっても飛ぶことはないと批判されているように思えるのですが、飛んだ方が望ましいのでしょうか?私もどちらかというと、石橋タイプなので・・・

人間には自由が与えられていましてね、何を望み、なにをするか、本人の勝手なんです。

カラスなぜなくの、カラスの勝手でしょうって歌がありましたっけ?
 

広大なる慈門さまへ

 投稿者:道すがら  投稿日:2009年 3月 4日(水)21時40分4秒
返信・引用
  始めまして。

「直感で飛ぶタイプ」と「直感で飛ぶことはないタイプ」と書かれていましたが、「飛ぶ」というのは、具体的にどういう意味なのでしょうか。
また、後者はいつまでたっても飛ぶことはないと批判されているように思えるのですが、飛んだ方が望ましいのでしょうか?私もどちらかというと、石橋タイプなので・・・
 

Re: 信仰の効験について質問

 投稿者:JOE  投稿日:2009年 3月 4日(水)02時24分23秒
返信・引用
  > No.867[元記事へ]

隆蓮房さんへのお返事です。

> 日々の積み重ねをしていれば、必ず後で「!」と実感出来ます。
> ただ、それにはある程度の時間、努力して集中することは不可欠です。
> 絶対に出来ます。
> それは断言できます。
> ただ、努力は必要。
力強いお言葉・・本当にありがとうございますm(__)m。専門家の方の言葉ですから強い説得力がありますし、
とてもやる気が出てきました!
こちらのHPにご縁をいただいた事自体が大きな効験です。神仏を冒涜して本当に申し訳ありません。
そして信仰の心構えの具体的な解説と本の紹介、本当にどうもありがとうございました。

ところで、掲示板『懺悔の間〜さんげのま〜』で三井英光師に関する投稿があり、
>  原文は40年位前のものなので、少々手入れしてあります。
と書いてありました。
三井師の本を購入したいと思っているのですが、僕のような現代人でも読めるオススメの本はありますか?
三井師の行者の心得10か条・・・本に掲載されていればぜひ参考にさせていただきたいのです。
信仰の実践は、一年間かけてやってきたつもりなので、行の参考の為に本を買いたいと思っておりますm(__)m。
 

Re: 信仰の効験について質問

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 3日(火)21時04分20秒
返信・引用
  > No.865[元記事へ]

JOEさんへのお返事です。

ご来庵ありがとうございます。


> 「大勝金剛」でキーワード検索してHPにご縁をいただきました。金剛峰寺の名前の由来や三密瑜伽
> から瑜祇経に興味を持った者です。愛染明王さまや大勝金剛さまが瑜祇経に縁が深いと最近知り、
> かなり強く興味を持ちはじめました。

それはそれはありがたいことですね。
瑜祇経はなんてったって総本山金剛峰寺の名前の由来のお経ですから、愛染・大勝金剛を外すわけには参りません。
瑜祇経はそのうち和訳をアップする予定ですので、気長にお待ちを。

> 信仰の効験について質問です。
> 本当に真言念誦して意味があるものなのでしょうか・・さっぱり効験を感じません(^_^;)。
> 自分は業が深いのだと思うので効験が出ないのはしかたないのですが、日々の変化が感じられないのです。。

例えば、上記の問いに親鸞風に答えるとしたら、「たとえその時(臨終)において『効験なんてない』という事実に気付いたとしても、私は本望である。弘法大師に『騙された!』などとは決して思わない」という感じになります。

効験が出るために信仰する、効験が出なかったら信仰をやめる、そういうのは「取引」だもんね・・・・・。

もし、達磨が答えるとしたら、「効験? そんなものありはしない。」

でもお大師さんだったら、智拳印を結ぶとさっと大日如来の姿に変じて、その効験の程を実証して見せるのだろう。

正直、地道な努力ですよ。
ストレッチと同じ。
地道に心をストレッチするしかない。

日々の積み重ねをしていれば、必ず後で「!」と実感出来ます。
ただ、それにはある程度の時間、努力して集中することは不可欠です。
絶対に出来ます。
それは断言できます。
ただ、努力は必要。

>
> こういう場合の心構えが載っている本とかないですか?正直信仰する気力を失いかけています。

一番単純な方法です。
白黒の碁石を各15個用意します。
今日一日の自分を振り返って、善をしたと思ったら白い石、悪をしたと思ったら黒い石を並べていきます(何個でも)。
初めは黒い石のしめる割合のほうが多いでしょう。
まあ、真っ黒け。
連日行っていくうちに、それが次第に白い石になっていくはずですよ。
やってみて!


参考書ですね、どれも良書です。
できれば隆蓮房のものでなく、ちゃんとしたのを読んでね。

「永遠の伴侶」
隆蓮房的抜粋はコチラから。
http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/c/ab546c9cc3bfa18bda6fcae9d48a4bbc

「サキャ格言」
隆蓮房的抜粋はコチラから。
http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/c/8c21bcd3d62623dcf516bf63bd198dc9

「菩提行論」和訳は「さとりへの道」
隆蓮房的抜粋はコチラから。
http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/c/2b4c91388818bec8b231158471a6fe58
 

Re: ご注意を!

 投稿者:広大なる慈門  投稿日:2009年 3月 3日(火)17時37分23秒
返信・引用 編集済
  > No.864[元記事へ]

隆蓮房さんへのお返事です。

親愛なる隆蓮房さま

> サイトがどんどん入り組んでまいりました。

人生を長くやっていると、いろんな因縁が絡んできて、自力ではどうしょうもないほど入り

組んできて、もう悟るしかないですね。


> 当サイトの記事には、いくつかのタイプがあります。
>
> 1.隆蓮房が思いつくまま好き放題書いている「読まんでもいい記事」
>
> 2.学術的見解を大いに参考している「ためになる記事」
>
> 3.(学術的には正しくないかもしれないが)伝統的見解に基づいた「ありがたい記事」


え〜と、1と2は、十住心論でいうと5以下(小乗まで)の迷い記事で、3が十住心論でい

うと6から9に相当するんだと思います。第十住心に行くには、そこから進一歩、百尺竿頭

から飛ぶしかないですね。

隆蓮房さまは、直感で飛ぶタイプに見えますが、これは天才型で、一方ピーキャットさんの

ような堅実タイプの人は直感で飛ぶことはない、石橋をたたいて、渡ると見えて何時までも

渡らないんではないでしょうか。

信仰とは十住心に安住することであって、古来いかな高僧といえども完全には出来なかっ

た。

ただ、釈迦のみはそういう完成を示したらしい。私の好きな維摩詰も釈迦なみだったらし

い。ヒンドゥーの神々は人間じゃないし、漠然とした概念なのであえて書きません。

すべては清浄なのが本質ですから、またその本質を正しく理解すれば、この現象世界は清浄

である訳ですから、いかなる議論があっても問題はないでしょう。

合掌
 

信仰の効験について質問

 投稿者:JOE  投稿日:2009年 3月 3日(火)14時46分14秒
返信・引用
  隆蓮坊様こんにちは。

「大勝金剛」でキーワード検索してHPにご縁をいただきました。金剛峰寺の名前の由来や三密瑜伽
から瑜祇経に興味を持った者です。愛染明王さまや大勝金剛さまが瑜祇経に縁が深いと最近知り、
かなり強く興味を持ちはじめました。

悪業を感じる人生でしたので去年から本格的な信仰をはじめました。専門家の方にお聞きしたいのですが、
信仰の効験について質問です。
本当に真言念誦して意味があるものなのでしょうか・・さっぱり効験を感じません(^_^;)。
自分は業が深いのだと思うので効験が出ないのはしかたないのですが、日々の変化が感じられないのです。。

こういう場合の心構えが載っている本とかないですか?正直信仰する気力を失いかけています。
 

ご注意を!

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 2日(月)23時45分22秒
返信・引用
  みなさま、ようお参りです。



サイトがどんどん入り組んでまいりました。

特に最近は、この板の常連でもいらっしゃるpiicatsさんのご領地と相互に影響しています。

隆蓮房的にはひっそり気ままに生息しているつもりでしたが、大御所とも言うべき上記サイトと関係がある以上、来庵者が徐々に増えてまいりました。

そこで一つ、みなさまに喚起を促したいことがございます。

当サイトの記事には、いくつかのタイプがあります。

1.隆蓮房が思いつくまま好き放題書いている「読まんでもいい記事」

2.学術的見解を大いに参考している「ためになる記事」

3.(学術的には正しくないかもしれないが)伝統的見解に基づいた「ありがたい記事」

これらがごちゃまぜにUPされてしまっているので、それぞれを区別してくださいね。

・・・・・私が印でもつければいいんでしょうけど。
 

(無題)

 投稿者:ぴーたん  投稿日:2009年 3月 2日(月)16時26分4秒
返信・引用
  誰かきりばんふんでません?  

月光仮面菩薩さんへ

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月25日(水)22時16分36秒
返信・引用
  あなたのとりくみは非常に興味深いですね。

ぜひ、こちらにてシェアしてください。

>仏教におけるスピリチュアルケア・・まさに、仏教こそ・・あえて、日本人には、必要なケアであると思っています。

そのとおりですよね。

http://ruriko.hanagumori.com

 

天才とは

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月25日(水)22時13分16秒
返信・引用 編集済
  天才とは、99パーセントの努力と1パーセントの才能である

・・・・・って最近は言うようだけど、私が子供の頃聞いたのは

天才とは1パーセントの「霊感」と99パーセントの「発汗」である

だったような気がする。

Genius is one per cent inspiration and ninty-nine per cent perspiration.
inspiration とperspirationで押韻。
「霊感」と「発汗」で押韻するのがコツです。

でも、「霊感」って言っちゃうと、近年だと怪しい響きがしちゃうよね。
「インスピレーション」だとオシャレな(?)感じ。
「ひらめき」だと今風の大和言葉。

スピリチュアルを「霊的」と訳すと妙な感じになるように、
インスピレーションを「霊感」と訳すのも胡散臭くなってしまう。

以上、努力、才能、霊について。


一番上の現代訳のエジソンの名言では、努力のほうに重点を置いているようだけど、
チャップリンだったっけ?
「でもその1パーセントが大事」とか皮肉っちゃったの?

わあ・・・・・まだ職場です。
10時過ぎちゃった・・・・・はよ帰らねば。

http://ruriko.hanagumori.com

 

おひさしぶりです

 投稿者:月光仮面菩薩  投稿日:2009年 2月25日(水)20時28分15秒
返信・引用
  ちょっと・・訪問をしていないうちに、ナント・・リニュアルです。
なかなか、おもしろいです。宗教は多彩です。仏陀は「家出した」あっ!「出家した」とは・・誰に教えを頂いたの・・なんちゃって・・その頃に、どんな人々がいたの?なーーんちゃって・・お勉強したら・・おもしろかったです。そうなんだあ〜。仏陀の以前にも・・神がいたのだ・・と。
なかなか、世界史詳細は、高校までは、お勉強できませんねー。
ブラフマー(梵天)と言えば・・我地には梵でん祭りがあります。
その梵でんの姿は・・まるで・・精子のようです。梵でんを「じょさや・じょやさ」と担ぎ、皆で争いながら、神社に突撃・・過激です。卵子と合体する精子の群のようです・・とは、私が言ったのではありませんよ。某人です。

某サイトで、もちろん、隆蓮房さまも、私の日記をお読みになっていると思いますが、スピリチュアルの、日本語訳は、なしです。まがいものが多すぎで、困ってしまいます。だから、私が目指すものを、理解いただくには、なかなか、難儀な道です。井上ウェマラ氏(高野山大学准教授)には、母と子のスピリチュアルケアについて書いた絵本があります。

まだ・・日記の中での、スピリチュアルケアについての記載はプロローグです。だから、英語と日本語を書いてみた。自分での確認作業です。

仏教におけるスピリチュアルケア・・まさに、仏教こそ・・あえて、日本人には、必要なケアであると思っています。

論議は各種あるとは思いますが、提唱したのは・・キリスト教圏内の方々で外国人ですから・・。日本語に訳し、さらに、日本人の仏教徒に、また、宗教・宗派にとらわれず、理解していただくには・・難儀な道です。しかし、スピリチュアルケアは人間が人間として生きる哲学・思想・信仰であると思っています。

生老病死・・四苦八苦・・すべての苦に、人間の心を動かすスピリットがある。心ではなく・・魂的、霊的なもの(日本語には訳せないスピリチュアルの訳)があるのです。

この世は、まだ、まだ・・わからないことだらけです。
 

もういっちょ

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月22日(日)17時45分42秒
返信・引用
  神と仏の差は何でしょう?

当サイトと相互リンクしてくださっている「仏教の勉強室」の掲示板上で話題に上げられたことについて、三摩耶会にて短期集中連載しました。

その原稿の改稿です。

http://ruriko.hanagumori.com/anjubeya/kamitohotoke/kamitohotoke00.html

http://ruriko.hanagumori.com

 

弁天さま

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月22日(日)15時47分35秒
返信・引用
  天河弁財天をちょっと調べてたら、去年の夏に60年に一度のご開帳だったんですか?

行かれた方、いらっしゃいます?

随分前に、天河で某リンポチェから白弁財天と赤弁財天の成就法を伝授して頂きました。

そのときでしたか、ご開帳を拝観したと思っていたのですが、多分お前立ちだったのでしょう。

蛇頭人身の弁天の絵もすごいよね。

鬼気迫るというか、並大抵のパワーではない。



去年はプライベートで色々あって仙台から出なかったので、一周年が過ぎたらガンガン活動しようと思います。

ご支援よろしくお願いします。


今年の春は善光寺で7年に一度のご開帳だとか。

来年の寅年は信貴山で勧請もありますね。

今年こそは四国と思っているのですが、愛染三十万反、これを集中してやりたくなってきてしまいました。

普段使いの念珠(星月菩提樹に親玉露珠7珠21珠が瑠璃)でやっていたんですが、専用の念珠でやらないとわけがわからなくなる危険が発生。

愛染さまといえば「赤」。

あら、メノウの念珠があるじゃない?

赤つながりで、かつて阿弥陀10万遍のときに使用したんだけど、これ台湾製なのよね。

そしたら、真言宗仕様にリフォーム可能だと言われまして。

お願いしてみようかな〜っと思っていますが、さて。

http://ruriko.hanagumori.com

 

仏像の起源と空

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月22日(日)15時19分54秒
返信・引用
  かつてこの掲示板上でご質問を頂いた話題について集中連載したものの改稿をアップしました。

ページ内リンクという方法を取りましたが、読みにくければ編集方法を変更したいと思いますので、ご感想をお寄せ下さい。

http://ruriko.hanagumori.com/anjubeya/butsuzou/butsuzou00.html

http://ruriko.hanagumori.com

 

ウサギと亀

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月21日(土)00時41分3秒
返信・引用
  努力も才能のうち・・・・・おっしゃるとおりで。

人間、長所と短所があって。
「短所を改め、長所を伸ばせ」どの文化の道徳においても説かれていますね。

ああ、でも、長所を伸ばすことって楽しいけど、短所を改めることって難しいのよ。
だから、(短所はともかく)長所を伸ばしてくださいって言うことにしてます。

ウサギさん、もっとタイムにチャレンジしましょう、トレーニングです、よっしゃその調子!
亀さん、あなたの努力パワーをさらに培いましょうよ、いけます、その調子!


まあ、こうして私の短所はほったらかしにされて今に至るわけなんですけどね。
でも、短所を改めることに成功してこそ、聖人君子と言われる所以なんでしょうが。
 

ダンボール棺

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月21日(土)00時31分27秒
返信・引用
  これ、実物見たことはないんだよね、話には聞くけど。
まあ、「みかん」とか書いてあるわけじゃないから、私的には全然オッケーなんだけどね。

四川地震みたいに何十万人規模で犠牲者が出るような災害の時には絶対に必要でしょうね。
木棺はそんなにストックしてないでしょうし。
阪神の震災の時も、棺の調達が大変だったという話を聞きました。

日本という国は、水が豊富。
勿論、木も生えている。
だから、砂漠化って言っても実感が湧かないのかもね。

人間ってイナゴみたいなんですよね。
川のほとりで文明起して、その辺りの自然を破壊して。資源を取り尽して、砂漠化させちゃって、別の場所へ移動。
その繰り返しです。

文明にも寿命があるようですが、それは人間がどのくらいの速さでそこの自然を破壊するかということなんでしょうかね。

文化によってタブーって異なります。

日本だったら死んだ人の形見の着物が受け継がれることって結構ありますよね(私の檜皮衣だってそうだ)。
だけど、インドなんかだったら、死人の着物を着るってとんでもないことだと思う。

日本だったらマイ茶碗マイ箸は当たり前(寺なら今だって一人ずつお膳使用)。
もし、人のうちに呼ばれて、「これは私の家で代々使っている箸なんです」と言われたら、気持ちが悪いよ、フツウは。

でも、欧米だったら家に伝わる銀食器があったりして、スプーンなんか誰が舐めたかわかんないわけだよね?
それって気持ち悪い? 平気?

まあ、外食に行くと、中華料理だと箸は使いまわし(が多い)、洋食なら使いまわしは当然(疑問も持たない)、でも和食なら割り箸のほうが感じ良いでしょ?

棺が使いまわしでもオッケーな文化はそうないと思うけど、ダンボールでもオッケーの文化はあるのかもねえ。
いや、ないか。
 

スピコンに限らず・・・・・。

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 2月21日(土)00時15分46秒
返信・引用
  またしてもとんでもない時間差ですが。

この掲示板に集う方々ご存知の通り、隆蓮房はスピリチュアルブームそのものに懐疑的ですよ。

1.まず、カタカナ使ってなんかごまかしてますよね。
「浮浪者」というとマズイけど、「ホームレス」といえば大丈夫みたいな。

スピリットって驚くほど多岐の意味を持つ単語なんですよね、でもそれが正しく用いられていないような。

スピリチュアルって何なのかの、定義が人によっては甚だ怪しいわけですよ(怪しくないのもあるのよ、だってWHOの健康の定義にも使われているんだから、ね、月光仮面菩薩さん?)。



2.次に、日本人のなあなあな部分にうまく取り入ってしまったブームだと思うのよ。

最近は鬼コーチやスポ根特訓は流行らないからね、みんな「それでいいんだよ」と言って欲しい(いや、わたしもそうなんだけどね)。

だから、私は何とかみつお(だっけ?)も危ないかなあって思います。

でも、日本人のなあなあさって、そもそも今に始まったことじゃないんだよね。

昔語りによく出てくるフレーズ、「さもありなん」。
奇怪な伝聞が語られた後に「そういうこともあるかもしれないねぇ」で終らせる。
断言しないわけですよ。
それが、話の情緒をうまく伝えるわけです。
余韻を残すような感じですね。

まあ、それが現代において、誰かが何かのありえない話をした時に、「ウソ!!」とキッパリ言ってしまうと角が立つんですね。

だから分かっていても言葉を濁すというか(「察する」って話題が以前あがりましたよね)。
日本人の情緒としてはオッケーなんだけど、それが間違って働いているような気がするのよ。


3.ただ、心配なのは、そうやって何でもかんでも曖昧なままにしてしまうと、判断が出来ない人が出てきてしまうということ。

「水は何でも知っている」がいい例ですね。

私なんかも、加持祈祷師であり鍼灸師なので、一般人からみたら、もうものすごい怪しいところに立っているわけですけれども。


4.そして判断力を失った人や誤った判断は為政者に都合がよいという事実があります。

「そのままでいいんだよ」→努力の放棄
「自分が変わればいい」 →変わらない自分が悪いので、不幸なのは自分のせい、政治のせいなどではない。言うべき不満を言わない。

こう考えるとね、スピリチュアルブームの手綱握ってんのは、どっかのエライ人ではないかとさえ・・・・・・あはっ、これって陰謀論だなあ。


5.最後に
もう10年位前だけど、スピリチュアル系心理学の講師と知り合いになった。

でも彼女も嘆いていたよ「これは占いではないのに、みんな『当たった!!』と言うんだ、なんだかな〜」と。

まあ、似たようなことはいっぱいあるわけで。

・・・・・私の日本語、怪しいですね〜。
 

以上は、新着順211番目から240番目までの記事です。 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  |  《前のページ |  次のページ》 
/34 


[PR]